2019年9月
関西展_開幕
9月11日、「第36回読売書法展」の「関西展」が開幕しました。
今年も、京都市勧業館「みやこめっせ」1会場のみの開催ですのでご注意ください。
15日までの開催です。
2019年9月11日(水)12:03
静嘉堂文庫美術館で「入門 墨の美術」展を開催中
静嘉堂文庫美術館(東京・世田谷区)で「入門 墨の美術 ─ 古写経・古筆・水墨画 ─」展が10月14日まで開かれています。同館が所蔵する名品の中から約30点を選び出して展観。併せて中国・清代の古墨「九貢」「龍香御墨」「玄海效珍」や印材も紹介しています。
古写経は「大般若波羅蜜多経 巻第二四五」(和銅五年長屋王願経)、光明皇后が父・藤原不比等と母・県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)の追善供養に発願した一切経「華手経 巻第四」(五月一日経)などを展示。古筆は「高野切」第三種の断簡(「古今和歌集」巻第十八・雑歌下 歌番号982 「わかいほは みわのやまもと こひしくは とふらひきませ すきたてるかと」)、国宝「倭漢朗詠抄 太田切」(下軸)、「寸松庵色紙」(「古今和歌集」巻第五・秋歌下 歌番号280 貫之「さきそめし やとしかはれは きくの花 いろさへにこそ うつろひにけれ」)、重要文化財「是則集」などが鑑賞できます。
水墨画は重要文化財「寒山図」(中国・元時代 13~14世紀)、重要文化財「聴松軒図」「万里橋図」(いずれも室町時代・15世紀)、重要文化財の伝周文「四季山水図屏風」(室町時代・15世紀)、雪村周継「柳鷺図」(室町時代・16世紀)、西湖図屏風など。
内覧会で河野元昭館長は「書も画も同じ墨を使うのは東洋だけの特質だった。東洋の『書画一致』思想の根底には、墨というマテリアル(素材)の問題があったのではないかと私は見ています」と述べました。担当の浦木賢治学芸員は展示構成について「日本美術の王道と言える奈良時代の古写経、平安~鎌倉の古筆、室町時代の水墨画を、ほぼ日本で描かれたものに限定して紹介した」と説明しました。
2019年9月11日(水)11:50
東京展ギャラリートーク⑪ 吉澤鐵之先生
■吉澤鐵之先生(漢字) 8月31日、国立新美術館
執行役員以上の先生方の作品を中心に解説されました。
吉澤先生は真っ先に古谷蒼韻先生の遺作の遺作「飲中八仙歌」(杜甫)を紹介。「古谷先生はこの詩がお好きで、何回も書いている。すべて暗記しているから、筆の動きも自在。内容を理解して書くことが大事だという良いお手本です」と述べました。
有名な一節「李白一斗詩百篇」(李白は酒を一斗飲むとたちまち百編の詩を作った)以下を音読すると、「古谷先生は興に乗って書かれていて、時には一行に大きい字を一字だけ書いている。最後は字が(紙幅に)入らなくなって小さい字になっているが、それが落款みたいな景色になっているかもしれません」と、古谷先生の筆遣いを追いながら解説。「傑作だと思います」と感嘆しました。
97歳の梅原清山先生の「瑞気集門」は「素晴らしい気がこの読売展にいっぱい集まってくるように、というおめでたい文句を書かれている」と述べました。
吉澤先生は「作品は(会場で配布する)鑑賞ガイドでご本人がどういう気持ちで書いたかを知って見るだけでなく、ご本人が何歳で、どこに住んでいらして、どんな性格の先生で──ということが分かると、『なるほど、だからこういう作品なのか』と思う。『書は人なり』と言いますが、興味があったらぜひ先生について知る努力をしてみてください」と語りました。
漢字、かな作品を一つずつ説明したあと、最後に自作「精忠」を解説。「とても忠義心が強いという言葉です。去年の大河ドラマ『西郷どん』を楽しみながら拝見したが、人々から求められて西南戦争を起こし、死んでしまったのが残念だった。悠々と釣りでもして過ごさせてあげたかったと思い、自然にこの詩ができた」と七言絶句を読み上げました。
維新亂世盡精忠 無血開城千載功 可惜西南戦争事 兆民不許一閑翁
「西郷さんの精忠に感動して書いたので、真っ正直な字になってしまいました。でも、詩の意味が分かれば、ふざけては書けないことが分かるでしょう?」とユーモラスに語りました。
古い屏風を剥がした紙に作品を書く吉澤先生は、「この詩文に金屏風は合わないと思いましたが、銀屏風はなかなか手に入らなくて貴重なんです。四曲屏風を見つけたので、それを剥がして書きました。まずまず狙い通りになったかなと思っています」と制作の舞台裏を明かしました。
吉澤先生は「私は自分で詩を作って、紙を探してきて、判まで彫る。表具以外は全部自前でやる作家です」と述べ、「今後とも(今回は)何を書いたのかな? という目で見ていただければ」とトークを締めくくりました。
2019年9月11日(水)11:40
東京展ギャラリートーク⑩ 市澤静山先生
■市澤静山先生(漢字) 8月30日、国立新美術館
執行役員以上の先生方の漢字、かな作品を中心に解説されました。
市澤先生はトーク冒頭、手書き文字と、小学校などで子どもたちに指導する教科書の活字体との違いについて解説しました。
新元号「令和」が発表されたあと、学校の先生が児童・生徒から「令」の字について「テレビに映った字と(学校で習う字が)違う」と言われる事態が起きたことを挙げ、「どちらが正しいかと言えば、両方正しい。字というものは一通りということはあり得ず、いろいろな字があることを認識してほしい」と述べました。
また、筆順にも複数あることを説明し、「小学校の先生は、子どもたちが書く字についておおらかであってほしいと思う。教えた通りに書かなくても、むやみに否定しないでほしい」と望みました。
尾崎邑鵬先生(漢字)の作品「汧殹沔々」(石鼓文)について、市澤先生は「尾崎先生は1924年生まれ。非常に激しく書かれているが、腕力があれば書けるというものではない。むしろ大事なのは気です」と指摘。「筆先が紙に食いついていますが、筆の切っ先が働いてこそ、自分の精神が盛り込まれた強い線が書けるんです」と述べました。
古谷蒼韻先生(漢字)の遺作「飲中八仙歌」(杜甫)は「流れが非常に自然な動きで、次から次へと動いていくのが分かります。速いかと思えば、かなりゆっくり書かれた部分もあり、墨もあまり付けないで、できるだけ保たせて書いている。手の動きが非常に安定しています」と絶妙の運筆を指摘しました。
かな作品についても一つ一つ解説。井茂圭洞先生(かな)の作品「無常」(万葉集)では、「筆の先がよく利いているのが分かります。紙に筆先が食いついている。他のかな作家と比べると分かるが、筆を紙にこする度合いが違う。また、かなはどちらかと言うと曲線が多いが、まっすぐな線が多い」と、漢字書家の立場からの視点も交えて特色を挙げました。
2019年9月11日(水)11:30
東京展ギャラリートーク⑨ 師田久子先生
■師田久子先生(かな) 8月29日、国立新美術館
執行役員以上の先生方のかな作品、読売準大賞のかな作品を中心に解説されました。
師田先生は冒頭、「一般に書、特にかな書は『読めない』ことがまず鑑賞のウィークポイント。『文字は読むもの』という先入観を少し外して、作品のいろいろな表現や表情を、見て、感じることが大切だと思います」と前置きしました。その上で「筆の運び方には遅い人も、早く書く人もいて(各人の)リズムがある。一番大切なのは呼吸で、どういうふうに持っていくかで作品の良し悪しが決まる。先生方がどのように書かれたのかを想像し、その流れを自分の中で見ていくことで、自分に合う作品が出てくるのではないかと思います」と鑑賞の姿勢をアドバイスしました。
池田桂鳳先生の「さをしか」(万葉集)は「簡素美を出した作品。放ち書きで、文字の形もあまり作らず、自然な形で書いている。淡墨で墨量も少ない中で立体感を持たせている。落款も作品の雰囲気に合うように大和古印風の印を使い、全体をやわらかく素朴な感じにしています」と述べました。
井茂圭洞先生の「無常」(万葉集)は、「井茂先生が師事された深山龍洞先生は『矛盾抵抗』を唱えていらっしゃいました。常識的に調和させるのではなく、異質な要素による不協和音から新しい調和(大調和)を導き出すという理念だそうです。井茂先生の作品も、非常に強いところ、余白といった不協和音を調和させる難しい作品のつくり方を基調としている。綿密な計算をした上で、3行目から墨を入れて盛り上げ、大きな余白を取り、そしていつも必ず大きな文字を入れていらっしゃる」と細かく説明しました。
また、「非常にゆっくり書かれるので、紙に食いついていくような線質になっている。先生の作品には必ず『し』という字がありますが、私たちがパッと書いてしまうところをとてもゆっくり書かれる。途中でちょっと屈折していますね」と考え抜かれた作品の味わいを指摘しました。
榎倉香邨先生の作品「無限の岸」(若山牧水)は、「情感を大切にしている。芯にとても色気があると感じます」。また「音楽的」と指摘し、「榎倉先生は、リズムを感じ、それを音の世界として書かなければいけないとおっしゃっています。かといって、うるさくてはいけない。静けさ、激しさ、やわらかさ、鋭さ・・。それから呼吸を長く引っ張り、音色を違えてはいけないともおっしゃっています」と説明しました。
さらに「先生はとてもおしゃれなんです。美的なものすべてが(作品に)入ってきますから、皆さんもおしゃれをして感覚を養いましょう」と述べました。
黒田賢一先生の「梅の花」(万葉集)は、「直線を主軸にしてリズムを出している。白と黒がはっきりして、粘りのある線質だけど歯切れのいい字」と説明。また、「昨年、東京展の席上揮毫で私も初めて黒田先生が揮毫されるのを見ましたが、短い筆で、大きい字を体全体を使って書かれていた。かなの原点は漢字にあることを意識して、強い線で書く。だから遠くから見ても強さと華やかさが表れています」と評しました。
土橋靖子先生の「天の河」(万葉集)は「ふわっとしたソフトムード的なものを入れているけれど、そうかと思うと線の中に強さがずっと入っていっている。また、ゆっくり書くことで一字一字の中に墨の変化のリズムがある。やわらかくするために墨色を落として淡くし、ムードを出しているところも先生の持ち味だと思います」と指摘。「(最初に)大きな余白がありますが、(その左の)行頭の漢字を強く書くことで余白が生きています」と述べました。
読売準大賞のかな作品、かな系調和体作品も解説し、河合鷹山先生(かな)の「ほととぎす」(万葉集)は「真ん中に山を作り、墨色の変化もよく、リズムがあって一つのドラマを感じます」。豊原睦子先生(かな)の「山鳩」は「途中に大きい字を入れることで、作品の変化を出している。線がとても強く、大きい字と小さい字の組み合わせによって、全体的なリズムを感じます」と評しました。
橋本小琴先生(かな)の「こぞの夏」(古今和歌集)は「行間の白がきれいに映っている。墨を入れるとどうしても重たくなりますが、筆の先を立たせてうまく作品をつくっています。最後をどうまとめるかみんな悩みますが、その前に墨をしっかり入れて、墨がないままで終わっている。白文の印を押してキュッと締めていますが、ここが朱文だったら弱い感じがすると思います」と落款印を含めた構成美を指摘しました。
馬場紀行先生(調和体)の「初日の出」(自詠)は「強さがあるから白が非常にきれいに見えます。筆を回転したり、突いたりすることで強弱がよく表れています」と評しました。
最後に師田先生は「『目習い』という言葉がありますが、自分はこういうものが好き、合っている、と思う作品をよく見て客観的なものをキャッチする。そして、せっかくいい作品を見たら自分の作品に生かさなければ。『目習い』『手習い』の二つが大切です」と述べました。さらに「書でなくてもいいから美しいものを見て、悩んで、反省して。その繰り返しで私も少しずつ書けるようになった。皆さんも一緒にやりましょう」と呼びかけました。
2019年9月11日(水)11:20
東京展ギャラリートーク⑧ 大澤城山先生
■大澤城山先生(漢字) 8月29日、東京都美術館
執行役員以上の先生方の調和体作品を中心に解説されました。
大澤先生は「それぞれの先生が専門とする漢字やかなとは違う調和体作品をどのように書いておられるか。同じ漢字作家でも、得意とする書体による違いも見どころです」と指摘しました。
また、調和体と漢字を半々くらいで出品している自身の立場から(昨年は調和体、今年は漢字の作品を出品)、「調和体の楽しみ方の一つは、作家がどのような言葉を選び、その言葉を通して何を表現したいのかだと思う。私は調和体の方が言葉を選ぶのにエネルギーを使います。共感し、感動して、自分の思いを託せるような言葉を見つけるのに苦労する。自分で言葉を作るにしても、何をアピールしたいのか、メッセージ性は何なのかを考えます」と述べました。
井茂圭洞先生(かな)の作品は、文部省唱歌「朧月夜」の一番「菜の花畠に 入日薄れ」。大澤先生は「日本の原風景を感じさせる歌。渇筆や潤筆を効果的に配し、技術的にも視覚的にも見ごたえがある。この全体感ですね。私の住む松本(長野県)からは北アルプスの山並みが望まれ、麓には安曇野の田園風景が広がるが、私の持つイメージと一致します。抒情的な作品ですばらしい」と述べました。
また、自分も2009年、日本の在外公館に書作品を贈る全国書美術振興会の事業で、同じ長野県出身の髙野辰之が作詞したこの歌詞を選んだことがあり、「アフリカの在タンザニア日本大使館に飾らせていただいています。まだ見たことはありませんけど」とユーモアを交えて語りました。
95歳の尾崎邑鵬先生(漢字)は、大野修作『書画綴英』の一節「王鐸と傅山」を縦の4行書きにした作品。「縦の作品を書かれるのは体力的にも大変ではないかと思うが、一文字目から最後まで気脈から何から貫通させて書くのは、体力はもちろん、気力が充実していないと書けない。細いけどピアノ線のようにキリっとした強い線なので、黒の面積はそれほど多くないが、決して白には負けていない。そして行間を空け、明るい作品に仕上げておられる」と評しました。
梅原清山先生(漢字)も97歳にして気力のみなぎる作品。「強靭な線で大きめの楷書を多く発表されるが、調和体も大字の楷書で鍛えた、石に刃物で刻んだようなキリっとした線で書いておられる」と述べました。
大澤先生は「漢字、かなの混合度合いが悪くないのが第一」という梅原先生の自作コメントを引用した上で、「(書く言葉を選んで)これでいいと思っても、今度は漢字とひらがなのバランスの問題が出てくる。画数が多くて密度の濃い部分が出せる字と、少ない文字のバランスが難しい。縦に書いてみたり横に書いてみたりするが、歌ならサビに当たる所にいい文字が来てくれればいいけれど、そうとも限りません」と制作の苦心を述べました。
星弘道先生(漢字)の「ジョン・ラボックの語」は、「漢字の先生らしく、紙面全体を揃え、行をしっかり立てて行間を空けるという表現。『藝』という画数の多い文字を(中央に)配置したことで、大きな盛り上がりを作り、左右の余白に響かせている」。また、「字数が少ないので、これだけの紙面を埋めるには線質が強くなければならない」と指摘し、細身になりがちなひらがなの「よ」「さ」の横棒を長くして、幅を広げて見せようとした意識が感じられる点などの工夫を挙げました。
2019年9月11日(水)11:10
東京展ギャラリートーク⑦ 角元正燦先生
■角元正燦先生(漢字) 8月28日、国立新美術館
執行役員以上の先生方の作品を中心に解説されました。
角元先生は、樽本樹邨先生が紙の右半分に「阮簡曠達」の四文字を大きく揮毫し、左半分の下方に小さな字で謂れを記した作品について、「(左の)上が空いているので、(小字の部分が)画賛のように見えるという方もいます」と指摘。「この空間を皆さんはどう思うか、それぞれに感じ取ってください。こういう表現の自由もあるということです」と述べました。
さらに付言して、「こちらの文章は諸橋の大漢和(諸橋轍次著『大漢和辞典』)に載っています」と紹介し、「僕が神田を歩いていたら、古本屋で全13巻(初版)の大漢和が1万円(の安値)で売っていた。日本の文化はどうなっているのかと思いました」と、活字文化への敬意を失いつつある現状を憂えました。
星弘道先生の「遊魂」(易経)は「筆は純羊毛の長鋒。特徴は『遊』の縦棒で、この一本の線が作品の命になっている」と大字を貫く直線の強さを指摘しました。また、「青い紙は特別に作ってもらったのでしょう。本来の草木染めはすごく薄い色なんです」と淡い青色に染められた紙の美しさも見どころに挙げました。
かな書家の作品も一点ずつ解説し、万葉集を題材にした池田桂鳳先生の作品「さをしか」では3行目の「月」の文字に注目。「大きく書いてありますが、墨を付けるとあまりにも目立つから(あえて)かすれさせたのだと思います」「穂の短い、やわらかい羊毛の筆で書いている」と指摘し、「素朴、枯淡な境地に憧れを抱いています」(池田先生の自作コメント)という作者の思いを紹介しました。
黒田賢一先生の「梅の花」(万葉集)は「力強いかなです。穂の短い、堅い羊毛の筆で書いている」と紹介。墨継ぎによる潤渇の変化がありながらも力強さが一貫している点を挙げ、「皆さんはどうしても墨が付いた所を強く書き、字が太くなる」と指摘し、「反対に、墨が無くても太さが出るように筆を立てて書くと強さが出ます」とアドバイスしました。
最後に自作を解説=写真=。題材は「詞(ツー)」という中国の韻文の一種で、「光緒時代(中国・清代、光緒帝の時代)の古い紙に、墨は古墨『筏墨』(いかだずみ)で書きました」と、文様が施された赤い紙と、揮毫した文字の周りに独特な滲みが広がる墨について明かしました。
2019年9月11日(水)11:00