東京展ギャラリートーク 岩井秀樹先生

岩井秀樹先生  8月31日、国立新美術館

 

 

岩井秀樹先生(かな)が第35回展記念の特別展示「読める書への挑戦」の解説をされました。

 

岩井先生は、まず調和体とは何か、どのような歩みがあったかを概説された後、題材、造形的魅力、書家の人柄などに焦点を当て、展示全作品について一点一点見どころを解説されました。主なポイントに沿ってお伝えします。

 

 

漢字もかなも、古典には一種の引力があります。学ぶべき、尊重すべき要素が厳然としてあるからです。これに対して、調和体は古典がなく歴史も浅い反面、人柄や心情が反映されやすいという特徴もあります。

 

手紙は「読める書」そのものでしょう。文面と造形との調和が生まれ、書き手の人柄もうかがわれるのは、手紙ならではの魅力だと思います。西川寧先生の書翰が2通出品されていますが、先生の品格、人柄が表れていると思います。書を始めようとしている入門希望者から「手紙くらい書けるようになりたい」と言われることがありますが、自分らしく書けるということはとても難しいものです。書の基礎力の上に、人となりの両方が求められるからです。

 

広く知られた詩、歌詞ならば、苦労して読み解く必要がありません。文意と造形の調和を味わうことができます。

桑田笹舟先生の「いろは歌」は、渇筆部の両脇の行を、包み込むように湾曲させているため、風船を膨らませたような視覚的効果があります。平易な内容にこうした造形的な試みが組み合わされており、思わずひきつけられました。

 

日比野五鳳先生の「荒城の月」は、土井晩翠の詩の物悲しさを包み込むような温かさが感じられる作品です。墨継ぎの妙によって、静かな盛り上がりや重心の移動を生んでいますが、作意を感じさせないさりげなさは、簡単には到達できない境地です。

 

高木聖鶴先生も同じ詩を取り上げておられます。曲に沿った行替えのおかげで読みやすい一方、墨の濃淡、墨継ぎの配置によって散らしの効果が生まれ、美しい景色が見えてきます。

 

小坂奇石先生は「山寺の和尚さん」。「ぽんと蹴りゃニャンとなく」と誰でも口ずさんでしまう微笑ましい詞を、内容に合った書きぶりで作品に仕上げられました。調和体は書と内容との関わりが大事なジャンルであることを再認識させられます。

 

淺香鐵心先生の「鬼の霍乱」も内容は一目瞭然ですが、右下がりの造形的な面白さを感じました。ご病気された後に右下がりの字形が登場したとも伺いましたが、いずれにしても、連綿する時、右の旁を下げると連綿線が短くてすむ、という連綿の合理性に基づいた試みだと思います。つまり最短の意連によって流れを緊密に保ちつつ、行の垂直性を保っています。無駄のない造形美、線の受けとめに緊張感溢れる作品だと思います。

 

俳句も、文字や言葉が私たちの時代に近く、調和体になじみやすい題材だと思います。変体仮名を多用すると読みづらくなる一方、漢字を使わなければ分かりにくくなる固有名詞等が多く含まれている点でも調和体向きでしょう。

 

また、自作、自詠作品も、ご本人ならではの内容と造形美の融合を見せてくれます。村上三島先生の「餘生」は老境におけるご自身のお気持を述べられた言葉ですが、これだけ淡々と書きながら書として魅せるというのは大変なことだと思います。線質を見ただけで三島先生と分かりますが、これこそ書家の力だと思わされます。

 

先達の先生方の作品を見て回り、自然な造形美に満ちた卒意の世界に引き込まれました。

「うまい字」より「いい字」というのが、調和体の魅力につながるヒントかと思います。

 

 

2018年9月1日(土)17:00