お知らせ
関西展_作品解説会
9月6日(写真上)と7日(同下)に行われた関西展・作品解説会の様子です。
それぞれ80人以上の書道愛好家が集まり、熱心に耳を傾けていました。
6日は福光幽石先生、7日は日比野実先生が、35回展特別展示の作品を中心に解説されました。
2018年9月7日(金)18:00
関西展_開幕しました
台風の影響が心配された「関西展」ですが、9月5日定刻どおり開幕することができました。
今年も、京都市美術間の改装に伴い、京都市勧業館「みやこめっせ」1会場のみの開催ですのでご注意ください。
関西展では、35回展特別展示「読める書への挑戦」も開催しています。
東京展の展示を見逃した方はぜひこちらの会場でご覧ください。
なお、関西展では35回展特別展示の関連イベントとして、作品解説会を予定しております。
こちらにもぜひお集まりください。
【作品解説会(ギャラリートーク)】
◆京都市勧業館みやこめっせ 日図デザイン博物館展示室内
特別展示作品などを前に、調和体の見所を解説します。
9月6日(木)漢字:福光幽石先生(常任理事)
9月7日(金)かな:日比野実先生(常任理事)
※各日午後1時30分~
2018年9月5日(水)11:00
役員の皆さまへ重要なお知らせ
役員作品集送付遅延のお詫び
「開催要項」の「役員規定」に記載されております通り、出品役員には作品集とCD-ROMのセットを贈呈しております。毎年8月下旬の東京展開幕後に配送しておりましたが、「9月に入ってもまだ届かない」といったお問い合わせが事務局に多数寄せられました。
事情を確認したところ、8月27日に宅配業者に配送委託した作品集の梱包が、業者の手違いによって未送のままになっていたことが判明いたしました。
業者には厳しく注意したうえで、できる限り速やかに作品集をお届けするよう通達いたしました。
役員の皆さまには大変ご迷惑をおかけして申しわけございませんが、9月5日から順次配送の手続きを進めさせております。地域や天候によって受け取りのタイミングが異なる場合がありますが、今週中にお届けできるよう急がせておりますので、いましばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。
読売書法会事務局
2018年9月4日(火)18:00
東京展閉幕
「第35回読売書法展」の東京展が9月2日に閉幕しました。
8月23日から29日までの東京都美術館(7日間)と、24日から9月2日までの国立新美術館(9日間※28日休館)の総入場者数 は、38,052人でした。
2会場の内訳は下記のとおりです。
国立新美術館 28,309人
東京都美術館 9,743人
多くのご来場、誠にありがとうございました。
次は、関西展に巡回します。
詳細はこちらをご覧ください。
2018年9月3日(月)17:34
東京展ギャラリートーク 角元正燦先生
角元正燦先生 9月2日、国立新美術館
東京展の最終日、角元正燦先生(漢字)が第35回展記念の特別展示「読める書への挑戦」を解説されました。
角元先生は漢字かな交じりの書である調和体について、「漢字・かなという異質なものを調和させて書くのは難しい」とした上で、「かなのルーツを考えると、もともと王羲之の草書から変体がなを作っている。かなも基の漢字をイメージしながら書くと、漢字に負けない強い字が書けると思います」と、基本を学ぶ重要性を強調されました。
また、「書は晩成の芸術です。ピカソなどのように、若くして天才が出ることは絶対にない。人生の苦渋や年輪があって初めて表現できるものです。どんなに才能があっても、見る人が見れば『よく手が動いているね』と言うだけです」と述べられました。また、「呉昌碩(中国・清朝末~近代)は『最後の文人』と言われますが、60歳前の作品を見ると若書きです。富岡鉄斎も80歳、90歳になってからの作品がすごい」と例に挙げられました。
角元先生は、西川寧先生の手紙2通を示して「西川先生が青山杉雨先生に与えた手紙は、明らかに後世(この手紙が)残されるであろうと意識して、きちっと書かれている。文章にも無駄がない。しかしとても自然でしょう」と述べ、自分の師である青山先生が調和体について「手紙を書くように書けばいい」とおっしゃっていたことも紹介されました。
自分と同郷の徳島出身である小坂奇石先生の作品は、「デッサン力がすぐれています。書家のデッサン力は、古典をそっくりそのまま書く訓練。皆さんがここまで先生方の作品を見てきても違和感を覚えないのは、書が線の芸術であることを実証した結果なんです」と、長い鍛錬に基づく線の確かさを指摘されました。また、殿村藍田先生の作品「浦島」については「これほど能筆の人はなかなかいない。天才的ですよ。しかも計算して書いたんじゃない。動物的な感覚ですね」と評されました。
自分の師である青山杉雨先生が「現代書道二十人展」に最後に出品した作品は、「ベッドの上に置いた仮設の机で書いたもの。文鎮代わりの石を(病院の近くで)探すのが大変でした」と思い出を語られました。
特別展示に続いて、8月25日に94歳で亡くなられた古谷蒼韻先生の作品を解説されました。角元先生は「古谷先生の臨書は、一つの字を自分の手に入るまで繰り返し書き、自分の感覚になるまで作り直すものでした」と語り、古谷先生自身が「臨書というより、どういう書き方か、探りの勉強です」と述べられていた古典学習法を紹介。また、「普通は親指に力を入れて書くが、先生は小指に力を入れ、ゆっくりと書かれた。体力がないとこんな書き方は出来ない。一つの線に変化がありますが、筆を浮かせて書いたらこのような線は出ません」と指摘し、逝去を惜しまれました。
2018年9月3日(月)17:00
東京展ギャラリートーク 吉澤鐵之先生
吉澤鐵之先生 9月1日、国立新美術館
吉澤鐵之先生(漢字)が第35回展記念の特別展示「読める書への挑戦」の解説をされました。
吉澤先生は「展覧会の見方として、たとえばこの中で自分に1点もらえるとしたらどれが欲しいか、という目で見ると見方が鋭くなります」とユーモアを交えて聴衆に語りかけました。
吉澤先生が、自分の「欲しい」と思う作品に挙げたのは西川寧先生の「山崎節堂宛書翰」でした。「ちょっと絵も入っていて風雅ですね。飾っておきたくなります」。そして「手紙は人柄がしのばれ、心が通じる。最近は書家の方でも手紙を書かない方が多くなりましたが、できるだけ書いていただきたい。書をやっていない方に書のすばらしさを伝えるには、手紙が一番だと思います。手紙を開くと墨の香りがして、流麗な字でいい言葉が書いてある。相手の方も大事に取っておいてくれますよ」と述べられました。
さらに「手紙は習うわけにも、教えるわけにもいかない。たくさん書かないとうまくなりません。空海の『風信帖』も手紙です。ぜひお友達同士で文通し、気に入った手紙があったら表具をして自宅に飾る楽しみも持っていただきたいと思います」と呼びかけられました。
吉澤先生が所属する日本書作院の創立者の一人、淺香鐵心先生の作品「鬼の霍乱」の前では、淺香先生が心筋梗塞を患って以降、右肩下がりで独特な味わいの書を書かれるようになったことを説明。また、作品に捺された二つの落款印を「あれは私が刻(ほ)った印です」と明かして聴衆を驚かせました。調和体作品には通常の篆書ではない字の落款印をと、淺香先生から望まれたとのことでした。
特別展示に続き、現役の幹部書家の作品を解説したあと、自作についても解説。中国・唐代の詩人、韓愈の詩から採った「風饕」の二文字で、「いつもは自分の漢詩を書きますが、今回は大きな字を書きたかった。面白い字だと思って選びました」と話し、ひときわ目を引く銀色の料紙は「古い屏風から剥がしたものです。新しい銀紙だと墨を弾いてしまいますが、べったりと載ったので気持ち良く書きました。秋の日展に出す作品は、この二文字を入れた漢詩を作って書いたものです」と制作のエピソードを披露されていました。
2018年9月2日(日)17:00
東京展ギャラリートーク 岩井秀樹先生
岩井秀樹先生 8月31日、国立新美術館
岩井秀樹先生(かな)が第35回展記念の特別展示「読める書への挑戦」の解説をされました。
岩井先生は、まず調和体とは何か、どのような歩みがあったかを概説された後、題材、造形的魅力、書家の人柄などに焦点を当て、展示全作品について一点一点見どころを解説されました。主なポイントに沿ってお伝えします。
◇
漢字もかなも、古典には一種の引力があります。学ぶべき、尊重すべき要素が厳然としてあるからです。これに対して、調和体は古典がなく歴史も浅い反面、人柄や心情が反映されやすいという特徴もあります。
手紙は「読める書」そのものでしょう。文面と造形との調和が生まれ、書き手の人柄もうかがわれるのは、手紙ならではの魅力だと思います。西川寧先生の書翰が2通出品されていますが、先生の品格、人柄が表れていると思います。書を始めようとしている入門希望者から「手紙くらい書けるようになりたい」と言われることがありますが、自分らしく書けるということはとても難しいものです。書の基礎力の上に、人となりの両方が求められるからです。
広く知られた詩、歌詞ならば、苦労して読み解く必要がありません。文意と造形の調和を味わうことができます。
桑田笹舟先生の「いろは歌」は、渇筆部の両脇の行を、包み込むように湾曲させているため、風船を膨らませたような視覚的効果があります。平易な内容にこうした造形的な試みが組み合わされており、思わずひきつけられました。
日比野五鳳先生の「荒城の月」は、土井晩翠の詩の物悲しさを包み込むような温かさが感じられる作品です。墨継ぎの妙によって、静かな盛り上がりや重心の移動を生んでいますが、作意を感じさせないさりげなさは、簡単には到達できない境地です。
高木聖鶴先生も同じ詩を取り上げておられます。曲に沿った行替えのおかげで読みやすい一方、墨の濃淡、墨継ぎの配置によって散らしの効果が生まれ、美しい景色が見えてきます。
小坂奇石先生は「山寺の和尚さん」。「ぽんと蹴りゃニャンとなく」と誰でも口ずさんでしまう微笑ましい詞を、内容に合った書きぶりで作品に仕上げられました。調和体は書と内容との関わりが大事なジャンルであることを再認識させられます。
淺香鐵心先生の「鬼の霍乱」も内容は一目瞭然ですが、右下がりの造形的な面白さを感じました。ご病気された後に右下がりの字形が登場したとも伺いましたが、いずれにしても、連綿する時、右の旁を下げると連綿線が短くてすむ、という連綿の合理性に基づいた試みだと思います。つまり最短の意連によって流れを緊密に保ちつつ、行の垂直性を保っています。無駄のない造形美、線の受けとめに緊張感溢れる作品だと思います。
俳句も、文字や言葉が私たちの時代に近く、調和体になじみやすい題材だと思います。変体仮名を多用すると読みづらくなる一方、漢字を使わなければ分かりにくくなる固有名詞等が多く含まれている点でも調和体向きでしょう。
また、自作、自詠作品も、ご本人ならではの内容と造形美の融合を見せてくれます。村上三島先生の「餘生」は老境におけるご自身のお気持を述べられた言葉ですが、これだけ淡々と書きながら書として魅せるというのは大変なことだと思います。線質を見ただけで三島先生と分かりますが、これこそ書家の力だと思わされます。
先達の先生方の作品を見て回り、自然な造形美に満ちた卒意の世界に引き込まれました。
「うまい字」より「いい字」というのが、調和体の魅力につながるヒントかと思います。
2018年9月1日(土)17:00
東京展ギャラリートーク 大澤城山先生
大澤城山先生 8月30日、国立新美術館
大澤城山先生(漢字)が第35回展記念の特別展示「読める書への挑戦」を解説されました。
読売書法会が取り組む漢字かな交じりの「調和体」について、大澤先生は「まだ熟さない、発展途上の分野」と述べ、「まず漢字とひらがなの特性がまったく違う。漢字は直線的で画数が多く、密度が高い。ひらがなは曲線的で画数が少なく、水と油のようなものです。もう一つ大変なのは可読性と芸術性の両立で、読めさえすれば調和体かと言うとそうではなく、技法や芸術的要素がなければ作品にはならない」と書く立場からその難しさを語られました。
しかし、「教科書も新聞も雑誌も活字。それに今は、文字を『書く』と言うより『打つ』時代で、手書き文字に味わいを感じることも難しい。変体がなや連綿、散らし書きが読めない方々に、書を読んでもらうにはどうすればいいか。調和体では、それらの表現が制約される中でも書作品として芸術性を高める努力と研究が、この先十年、二十年、なされていくと思います」と考えを述べられました。
大澤先生は、先達の作品を一つ一つ紹介。西川寧先生の手紙の前では、「調和体の原点は手紙だとおっしゃる先生がいますが、私もそう思う。手紙は相手に対して書きたいという思いがあるから、心と手が一体になる。だから自然なんです。読めなかったら手紙の意味をなさないので、そんなに装飾的になる必要もない」と説明されました。
しかし、それは決して簡単なことではなく、「よく『書を習いたい。展覧会に出すような大きな作品は書かなくていい。ちょっと手紙が書ければいいから』とおっしゃる方がいますが、それが一番難しい。自然に書くというのは、相当な力量がないと出来ません」と付け加えられました。
自分と同郷(長野県松本市)の上條信山先生の作品の前では、「上條先生の書を見ると、いつも北アルプスの急峻な山、槍ヶ岳や奥穂高岳を思い出します」と語り、高校の校歌を書いた「伊那弥生ヶ丘高等学校旧校歌碑」については「かなり可読性を意識して書かれたと思われますが、信山先生の特徴がよく表れています」。先達たちの作品が、たとえ平明に書こうと意図したものでも品格を失わず、おのずと個性が表れていることを指摘されました。
最後に大澤先生は「やはりこの時代に生を受けた以上、時代の影響を当然受けるわけですし、この時代に生きた書家だからこそと言える書を残さなければおかしい。調和体はまだ未完成な分野だからこそ、可能性は大きいと思います」と語り、「私も今回、調和体の作品を書きました。自分の言葉を常々書きたいと思っており、長野県出身なので長野県にまつわる作品を書きました」と結ばれました。
大澤先生が調和体作品として書かれた言葉は次の通りです。
「八ヶ岳の麓 そこには黒曜石の恵みを活かした 縄文人の叡智の跡」
2018年8月31日(金)19:00
東京展ギャラリートーク 日賀野琢先生
日賀野琢先生 8月29日、東京都美術館
日賀野琢先生(漢字)が読売大賞・準大賞、読売新聞社賞の漢字作品を中心に解説されました。
日賀野先生は、読売大賞に選ばれた森上洋光さんの小篆による作品について、「秦の始皇帝が定めた小篆のスタイルだけでなく、清朝時代に復古運動が起きた時に趙之謙、呉譲之、徐三庚といった書家たちが独自にアレンジして書き残した小篆あたりにもヒントを得て書かれている」と指摘されました。
さらに、「小篆の様式美にしっかりはまり、重厚な雰囲気が伝わってきます。ただ、それだけでは作者の鼓動やリズムが伝わらないので、運筆の中に太い・細いの変化をつけています。さらに字の重心を半分より上にして足長(長脚篆)にし、ワイングラスのように高貴でスタイリッシュな姿を演出した。そうすると下部が不安定になるので、終筆の所をちょっと太くして、全体の安定を取っている。線と線の間に空白を作って風通しを良くし、疎なる所と密なる所をうまくミックスさせています」と作者の工夫を細かく分析されました。
読売準大賞の小出聖州さんの作品は、「篆書が隷書に変わっていくあたりを題材にされて書かれている」と紹介。「(篆書が完成された)小篆は作品にしづらいが、ちょっと崩れて隷書になっていくあたりを作品にすると、実は楽しいんです。ものが完成される前や、ちょっと崩れていく過程をうまく題材に採ると、結構自由に表現できます」と述べられました。
同じく読売準大賞の窪山墨翠さんの作品は、一字目に注目=写真=。「筆をボーンと打ち付けたところに、まるで交響楽でシンバルが鳴ってジャジャジャジャーン、と始まるような音楽性を感じます。最初がうまく行って、よしっ、と興に乗られたのかなと思います」と評されました。
同じく読売準大賞の筈井淳さんの作品については、線の粘りを特色に挙げられました。
日賀野先生は「書は追体験ができます。作者が筆を下ろした時の様子を想像し、自分も書いているような気分になる。そのつもりになると、作者のリズム、鼓動が伝わってくる。古典は手習いすることが重要ですが、もう一つ『目習い』といって、目で習うことも大切。皆さんも作品を見る時は、ぜひ追体験して字の流れを追い、それからちょっと離れて全体のリズム感や構成を見ていただくといいかなと思います」とアドバイスされました。
また、書を見に来てくれる一般の人に向けて、「『読めない、分からない、だから書はつまらない』とみんなバリアを張ってしまいます。漢詩を書いた時は、「いい意味の詩だったね」と言われます。私の立場としては、意味を積極的に伝えようとしているわけではなくて、あくまでも文字の姿、形を見てほしいというところがあります」と語りかけられました。
2018年8月30日(木)17:30
東京展ギャラリートーク 吉澤大淳先生
吉澤大淳先生 8月27日、東京都美術館
吉澤大淳先生(漢字)が読売大賞・準大賞、読売新聞社賞の作品について解説されました。
吉澤先生は、読売大賞に輝いた森上洋光さんの漢字作品について「中国・唐代の詩の一節から選んだ26文字を篆書で表現されている。荘厳な儀式が終わって夜明けの光が降り注ぐという内容のようです。ご本人のお話では4月から何度も書き直し、重厚さと美しさに加え、華やかな表現を心がけられたようです」と紹介。「小篆を綿密に重ね、重厚で荘厳な感じのする様式美に仕立てられています。墨量も非常にうまくのっている。すごい腕だなと思うのは、墨が多いと空白が潰れてしまうものですが、非常にうまく残している。しかも細部まで神経が行き届きながら、全体感を失わない。なかなかできない技術であり、作品であると思います」と評されました。
読売準大賞の小出聖州さんの漢字作品は「近年出土の漢代の隷書の肉筆を基にしている。隷書の一番の基本は垂直・扁平・左右相称、字が正面を向くことですが、それをやや右肩上がりに工夫されているのが特徴。その中で安定感とバランスが非常にうまく取られています」と指摘されました。
また、同じく準大賞に選ばれた井谷五雲さんの篆刻作品について「大胆な構成で、造形、白の空間の取り方、字の粗密などの変化が非常にすばらしい。篆刻の皆さんは筆の代わりに字を刻するのですが、線質をじっくり見ていただくと、力強かったり複雑だったり、微妙な変化が見て取れます」と見どころを説明されました。
吉澤先生はかな作品、調和体作品も解説し、「人の作品をよく見ることも、自分の書作を高める上で大きい。漢文、和文、小説、随筆、語録、紀行文、詩歌、童謡、民謡など、この人はこういう題材を書いているんだと思って見るのも楽しい。また、どのような筆・墨・紙や印を使っているかなど、いろいろな角度から自分の意を留めれば、そこに魅力が感じられます」と語られました。
2018年8月30日(木)16:40