東京展ギャラリートーク 高木厚人先生

高木厚人先生 8月27日、国立新美術館

 

高木厚人先生(かな)が、第35回を記念する特別展示「読める書への挑戦」の出品作品を解説された内容をリポートします。

 

高木先生は冒頭、「今日の社会の中で、われわれ書家は友達からも『何で読める字を書かないの?』と日常的に言われています」と述べられました。そして、調和体に取り組むべき理由として、読売書法展が第12回展(1995年)で漢字かな交じりの調和体部門を新設した当時、その推進役だった村上三島先生が雑誌「墨」のインタビューに答えられた言葉を紹介されました。

 

村上先生は「漢字作品もかな作品も現代日本語の書ではない。現代日本語を書いていないということは、見る人にとって、まず読めないということにつながる。読めなければ書かれている内容が分からない。それがひいては、書が多くの社会人に受け入れられないということにつながる」と憂え、「この危機的状況から脱するためにも、書家がもっと、現代日本語で書いた作品に積極的に取り組まなければならない」と語られています。

 

一方で高木先生は、村上先生が調和体を「古典と呼べるものが何もなく、生まれたての赤ん坊です。漢字、かな作品のレベルに達するような作品ができるのは、三十年、五十年、あるいは百年かかるかも知れない」と述べられた言葉も引用し、調和体を書く難しさを述べられました。

 

その上で特別展示に並んだ作品を回り、調和体部門が導入される以前の先達たちを含め、書家の方々が自分の学んだ古典をベースに、漢字とかなの組み合わせ方などそれぞれに「読める書」を工夫していたことを解説されました。

たとえば、桑田笹舟先生の「いろは歌」は奔放に字を散らし、いかにも即興的に書いているように見えますが、「やはり一つ一つ鍛錬されている線で書かれているから、われわれが見ても納得できる景色が出来上がっている」。今関脩竹先生の「あしもとに」も、「変体がなを使っていても、ほかの部分が読みやすければ字を当てはめて読むことができます」と指摘されました。

 

また、日比野五鳳先生の代表作「のどかさ」に複数の揮毫が残されていることを挙げ、2点の図版を示して「どちらが先に書かれたか分かりますか?」と問いかけられました。書家は先に書いた作品を見て反省し、次はもっと良く書こうとするもの。しかし後で書いた作品の方が良いとは限らず、むしろ先に書いたものの方が、作り過ぎず、素直で良い場合もあると述べられました。

 

高木先生は書展の鑑賞方法について、「そう難しく考えないで、『面白いな』とか、『もらえるとするならこの書かな』と想像しながら見ると楽しい。書く立場の方なら、見て心地よい、自分も真似をしてみたい、と思える書を探すのが自然だと思います。ご自分の先生の書の流れできちっと作品を作りながら、こういう書展でそれ以外のものを見つけるのも大事です」と助言されていました。

 

 

2018年8月28日(火)17:00