お知らせ
「近世の書と文学」展 東京・センチュリーミュージアムで開催中
東京・新宿区早稲田のセンチュリーミュージアムで、「江戸文化に見る唐様と和様 近世の書と文学」展が開かれています。
本阿弥光悦ほか「寛永の三筆」から、池大雅、与謝蕪村らを経て小林一茶まで、安土桃山時代〜江戸時代の唐様、和様の書の多様な魅力を約30点で展観しています。小ぶりながら、江戸の書を落ち着いて味わうことの出来る展覧会です。
6月30日まで。問い合わせは同ミュージアム(03・6228・0811)へ。
主な見どころ:
1 寛永の三筆
安土桃山時代、江戸初期は、ヨーロッパ文化との出会いもあり、芸術におけるめざましい変革期となりました。書の世界でも個性的な書が誕生しています。
闊達な近衛信尹、大胆な装飾美の本阿弥光悦、穏健ながらも独自の書風の松花堂昭乗の「寛永の三筆」に、烏丸光広らを加え、新しい和様が誕生しました。近衛信尹は慶長19年(1614年)に他界し寛永期(1624〜1644年)には存命していなかったので「近世初期の三筆」あるいは「江戸初期の三筆」と呼ぶ学者もいます。
近衛信尹(のぶただ)「堅田落雁図自画賛」桃山時代
信尹は五摂家の筆頭・近衛家の第17代当主。伝統的な書を基盤として、鮮烈で力強い作品を残しました。中国・湖南省の洞庭湖付近を題材に八つの景勝を描く「瀟湘八景」に因み、日本では「近江八景」が愛好されました。「堅田落雁図自画賛」はそのうちの「堅田落雁」を描いたもので、「みねあまた こえてこしぢに まつちかき かたゝになびき おつる雁がね」という自賛が書かれています。
本阿弥光悦 「木版下絵和歌巻断簡」「金銀泥藤下絵詩書巻」
光悦は裕福な町衆の出身。和様の書を基盤としながら、中国・宋の張即之や大師流などの影響を受け、奔放自在で個性的なみずみずしい作風に到達しました。華麗な装飾下絵の意匠に調和する個性的な書で知られます。金銀泥で藤と忍草の文様をあらわした料紙に、線の肥瘦が強調された豊潤で装飾的な筆致の「木版下絵和歌巻断簡」、端正な行書とゆったりふところの深い草書を交えた「金銀泥藤下絵詩書巻」が目を引きます。
松花堂昭乗 「五柳先生伝」
昭乗は真言宗の僧侶、画僧。 温雅な行書から流麗な草書までを自在に駆使しました。美しい字形と墨継の妙、文字の大小を併用した巧みな構成などが見どころです。中国・ 東晋末~南朝宋初の田園詩人、陶淵明の「五柳先生」は、架空の人物に自らをなぞらえて表した自伝的な作品で、昭乗は貴人の依頼を受けて、調度手本として「五柳先生伝」を揮毫しました。
烏丸光広「七言絶句」
光広は安土桃山時代から江戸時代初期の公卿。宮廷文化人、歌人、さらには宮廷と幕府の交渉役として活躍した破格の文化人でした。定家流、光悦流などをへて独自の書風を確立しました。ところどころに型押し文様のある美しい料紙に奔放な書きぶりで揮毫されており、にじみやかすれの妙、行の傾きや文字の大小などによる空間処理も持ち味です。
2 唐 様(中国の書風を模した書体。ふつう明風の書体を指す)
江戸時代の始まりは、中国では漢民族国家・明の衰退・滅亡と、異民族国家・清への移行期でもあり、黄檗僧らが相次いで来日しました。彼らは明・清の中国書法をもたらし、儒学者はもちろん、儒学を学ぶ幕府や各藩の武士、学問好きな町衆などによって中国書法が学ばれ、江戸時代の中期から末期にかけて唐様が大流行。幕府の儒学奨励も、唐様書道の流行を後押ししました。 北島雪山を祖として、細井広沢、荻生徂徠、亀田鵬斎らに受け継がれ、江戸末期には市川米庵らが活躍。池大雅、大田南畝ら文人も唐様の優れた書を残しました。
北島雪山「誠心」
雪山は肥後熊本藩の儒臣で、長崎などで中国書法の研鑽を積み、自らの書法を確立しました。江戸時代の中国書法流行の先駆者で、唐様の祖とされます。
細井光沢 「飲中八仙歌」
光沢は江戸時代中期の儒者、書家。北島雪山に書を学び、徳川綱吉の側用人・柳沢吉保に儒臣として仕えました。書に関する著作や手本の刊行も手がけ、職業的な書家として先駆的な存在とされます。 雄渾、充実した筆力、行書の表現力の冴えが持ち味。「飲中八仙歌」は中国・唐の詩人・杜甫の詩を題材にした唐様の典型的作品で、光沢76歳の時の作です。
荻生徂徠「七言絶句」
徂徠は柳沢吉保に使えた儒者。吉保失脚後は私塾で古文辞学を教えました。
明の祝允明、董其昌などの草書を学び、細井光沢の影響も受け、闊達な独自の書風に達しました。 日本の文人の思想、行動に大きな影響をもたらしました。「七言絶句」は
悠然とした書き出しから、躍動感みなぎる筆致でかすれを生かした自在な書きぶりを展開。行の傾きの変化、文字の大小や行末のまとめ方など、絶妙な空間処理は唐様の能書でも突出していると言われます。
池大雅 「七言絶句」
大雅は7歳の時、黄檗山万福寺に参詣して多くの僧の前で大字を書き「神童」と称せられたという逸話が残る唐様の代表的書家。日本の文人画の大成者としても知られます。
「七言絶句」は、ゆったりと文字の懐を広く取りつつ、線の肥瘦や文字の大小など で メリハリを効かせています。一文字一文字を離して書く独草体の部分と文字を続けて書いた連綿の使い分けも見どころのひとつでしょう。
市河米庵「七言二句」
米庵は江戸時代末期に活躍した書家、加賀藩の儒臣。「幕末の三筆」の一人として知られます。「七言二句」は米庵79歳の時の行・草の書で、重厚で着実な筆運びを見せています。
3 和様 (漢字の筆法をやわらげた日本的な書体)
和様 公家、門跡、武家の間で主流だったのは持明院流、青蓮院流などの和様の書でした。青蓮院流はやがて御家流と呼ばれ、武家の公式書体となり、寺子屋でも庶民が学びました。実用書道として普及する一方、江戸中期の公卿・近衛家煕は平安時代の和様を学び、復古和様を打ち立てました。
近衛家煕「古歌」
家煕は江戸時代中期の公卿。有職故実・和歌、茶の湯など諸芸に秀でた近衛家の当主です。平安朝の名筆にひかれ、上代の和様の書を収集、研究し、復古和様を完成させました。「古歌」は藤原定家の和歌を書写した、上代の香り漂う穏やかな筆致の作品です。家煕は漢籍や中国書法にも造詣が深い教養人でした。
4 近世文学・俳諧、国学と読本・草双紙
遊戯性の高い連歌を芸術に高めた松尾芭蕉、中国文人の精神を学び、高度の教養と洗練された美意識で独自の境地を開いた与謝蕪村、 農村出身で、平易で素朴な作風を見せた小林一茶らが登場します。
松尾芭蕉「書状」
芭蕉は江戸時代前期の俳人。 伝統的な青蓮院流。御家流、本阿弥光悦や松花堂昭乗らの大師流の影響下で自身の書風を形成しました。 「書状」の字間を空けずに文字を連ねる技法は、連歌などの多くの文字を書く経験に由来すると思われ、大小の文字をバランスよく書き連ねながら、わずかに行をうねらせて動きを与えています。
与謝蕪村 「書状」
蕪村は江戸時代中期の俳人、画家。 日本南画の大成者として池大雅と並び称される存在です。「書状」は池大雅宛てのもので、ゆったりとした豊潤でやわらかな筆致を見せています。
小林一茶「短冊」
一茶は江戸後期の俳人。人間味あふれる主観的な句で知られ、「短冊」は「蕗の葉にぽんと穴あくあつさ哉」を渇筆を用いた淡々とした筆致で書いたものです。
2018年6月18日(月)17:49