4.書法会役員の書活動
「高木聖鶴展」開催記念ギャラリートーク
成田山書道美術館(千葉県成田市)で開催されている「高木聖鶴展―特別展示 古筆と文房具―」の関連企画として、ご子息の髙木聖雨先生、朝陽書道会の森川星葉先生、森上光月先生、藤川翠香先生による「ギャラリー・トーク」(パネル・ディスカッション形式)が、4月9日、同美術館で開かれました。
聖鶴先生に長く接してこられた各先生ならではの秘話も紹介され、書の真髄に迫る聖鶴先生の言葉が披露されると共に、思いがけない素顔が明かされて会場が笑いに包まれるひと幕もありました。
工藤照淳・同美術館館長のご挨拶に続いて、髙木聖雨先生が聖鶴先生最後の日々について「(他界の)1週間前に、意識がどれほどあったか定かではない中、天井を紙に見立てて手を宙で動かしているのを病院長が見て、驚いていました」などと紹介された後、各先生が聖鶴先生の思い出を語られました。
(写真提供:成田山書道美術館)
髙木聖雨先生
80歳を越えていた頃の話ですが、ある年の暮れに、「来年の目標」と言って、「巻子を1年に100本書く」と宣言しました。なかなか大変なことだと思っていたのですが、1月の8日までに既に8本が仕上がり、それならばと目標を200本に上げてしまいました。その年に実際に200本を達成できたかどうかはわかりませんが、かなりの巻子を書いていたのは確かで、あの歳で大きな目標をたてて取り組む姿勢は尊敬すべきものだと思いました。
父の書斎があまりに暗いので、ある日「蛍光灯増やしたら?」と言ったことがあります。それに対して父は「 これでいいんだ」と答えました。昔の書家はろうそくなどの暗いところで書いていた。そういう暗いところで筆と紙の接点を、目で見て確認するのではなく体の感覚でとらえるから、それでいいんだ、と言うのです。なかなか言えたセリフじゃないな、と感じました
また、「平安の古筆の域に達するにはあと100年必要だな。200歳まで一生懸命練習しないと、平安時代の古筆には迫れない」とも語っていました。
森川星葉先生
聖鶴先生は貴公子のようで品位のある先生でした。作品はお人柄そのままの字ですが、本日は、先生の作品をたくさん見ることが出来て感激しました。こんなに揃ったのを見たのは初めてなんです。この作品が末代まで残ると思うと嬉しいですね。 「人の3倍書かないかん」というのが先生の教えでした。先生ご自身、泣き言言われたことないのです。痛い、辛い、などないのです。常に前向きでおられるので、私たちもうっかり言えませんでした。先生は後ろは振り向かないのです。
いい作品を手に入れて、勉強されて、それを反映して書に取り組まれるので、作品はいつも新鮮でした。(展覧会で)先生の条幅を拝見しましたが、今の字とは全然違うんです。同じところにはおられませんでしたね。
森上光月先生
初めてお邪魔した時、先生は57歳でした。その頃に比べると、先生の作品は、ずいぶん変わられました。 目の前でいろはの手本を書いていただいたのですが、目の前で書かれるのを見ると、高級車が静かに走り出す感覚がありました。いつ筆が紙に乗ったのかわからないくらいでした。
一番下っ端の頃、教室の隅で仏頂面をしていたら、「女の子は愛想、愛嬌。お化粧の下手のものは字は上手にならん。服装も一番いいものを着なさい。僕んとこに来る時は綺麗にしてきなさい。そのくらいじゃないと字は上手くならない」と言われました。 この話は止めときますね。
先生の前で言ってはいけないことがありました。 「お金がありません」という言葉です。「使えるだけはあります」と言っておいた方が良いということなのです。
「あそこが痛い」、「風邪気味で調子が悪い」、「調子がが悪いから書けない」などと言い訳をする弟子がいると、「僕は医者ではないから治せない。だから僕の前で言っても無駄なんだ。決して言うな」と諭されていました。
一昨年あたり、先生にお尋ねしたことがあります。
「起承転結とよく言われますが、書家としての私は起承転結のどこでしょうか」。内心では承か転に入り始めたくらいか、と思っていたのですが、先生の言葉は「あんたかあ、あんたなあ、起の始まりか?」でした。日展で賞をもらってこれが始まりか、と少し驚くとともに、意を新たにしました。「それでは先生は(起承転結の)どこにおられるのですか?」とうかがうと、「転の終わりのあたりかな」と。先生にしてまだ転かと驚いたのを覚えています。
近年は書作のペースが少し落ちていましたが、「書けなくなったら展覧会を引退」というお考えでしたから、間に合うように書いていただかなくてはなりません。ご気分のよい日などチャンスを狙って書いていただきました。
藤川翠香先生
30歳で入門した時、先生から最初にされたのが、エジプト旅行の話でした。書斎で黙々と書かれていると思ったのですが、「エジプトは何千年も前から文明が栄えている。平安時代なんて昨日のようなこと」とお話になるのを聞いて、スケールが大きいと感じました。
厳しい言葉もいただきました。「(無駄に)寝とるんじゃない」というお声が、今でも聞こえて来そうです。中途半端なことも「100かゼロかだ。やるなら全部やれ」とお認めになりませんでした。一方で、「先生いいのが書けないんです」と相談すると「僕でもええのは書けんのじゃから」と言われ、「ええのが書けんのじゃったら 書けるまで書きなさい」と励まされました。
「芸術というのは曖昧なものだ。自分がいいと思うものを書き抜け。君は字を書きなさい」とも言われました。
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最後に高木聖雨先生が「世間では背筋が伸びて温厚で、と評されることもありますが、家では違った顔も見せていました。また、小食だったのですが、『ご飯は100回噛め』というのが父の教えで、ある時、母親が実際に数えたところ 本当に100回噛んでいたそうです。長生きに役立っていたかもしれません」とエピソードを紹介された後、「亡くなったのは残念ですが頼もしいお弟子さんたちがいて、後顧の憂いなく旅だったことと思います。皆様にお礼申し上げます」とあいさつされて幕となりました。
2017年4月17日(月)10:04