5.書道界情報
「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」展 開催中
呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―
東京国立博物館、台東区立書道博物館
2018年3月4日まで(展示替えあり)
問い合わせ ハローダイヤル 03・5777・8600
中国の清朝末期から近代にかけて詩・書・画・篆刻の四芸で活躍し、“清朝最後の文人”とも評される呉昌碩(ごしょうせき)(1844~1927年)の芸術を紹介する展覧会「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年」が、東京・上野公園の東京国立博物館と台東区・根岸の台東区立書道博物館で同時開催されています。呉の代名詞とも言われる石鼓文に限らず、呉の幅広い研究、制作活動の全貌を明らかにする企画です。
中国・湖州安吉県(現在の浙江省湖州市安吉県)出身の呉は、17歳の時太平天国の乱に遭い、一家は離散。唯一残った親族の父親も呉が25歳の時に亡くすという苦難の青年期でした。貧困と社会の混乱に苦しみながらも学者や収蔵家らの理解を得て、篆刻や書の研究を続けました。栄達のために高い官職を追い求めることもなく、印学の研鑽を積み、書画の才能も開花させていきます。56歳の時に安東県(現在の江蘇省漣水県)の知事になりましたが、1ヶ月で辞めてしまいます。以後は書画篆刻で生計を立てつつ、制作に打ち込みます。
呉昌碩は、紀元前5世紀頃の古代文字「石鼓文」(せっこぶん)に基づく縦長で力強い線を特徴とする篆刻書作品で知られますが、呉の研究は石鼓文に留まるものではなく、幅広く古典を学び、自らの書、画、印に結実させました。梅や蘭などの花卉を題材にした書画も広く愛好され、呉の印は日本画家・富岡鉄斎や洋画家・岸田劉生も愛用したといいます。清王朝が滅亡した年、69歳で名を昌碩と改め、70歳で金石、篆刻の学術団体「西泠印社」の社長に就任し、篆刻界のトップに立ちました。
2館連携による呉昌碩展は7年ぶりです。これまでほとんど一般の人の目に触れたことのない若い時期の作品や、研究の多様さを示す古典作品への跋文、わずかな作例しかない山水画、ほぼ絶筆とされる書などを含む回顧展で、呉の生涯を3期に分けて、前例のない多彩な内容で紹介します。東京国立博物館では計83点、台東区立書道博物館では計95点が展示されます。(会期中、展示替え、展示場面の変更があります)
各時期の主な作品:
第1期 安吉時代 1-38歳
「斉雲館印譜」、「篆書孟子章句扇面」
第2期 蘇州・杭州・上海時代 39-67歳
「臨石鼓文扇面」「墨梅図軸」「篆書七言聯」
第3期 上海時代 68-84歳
「開通褒斜道刻石跋」「山水図軸」
東京国立博物館学芸企画部長の富田淳さんは「特別に出品いただいた作品が並ぶ、貴重な機会です。師の楊峴が揮毫した呉昌碩47歳の時の価格基準など珍しい資料も見られます」とこの展覧会のユニークな見どころに触れ、台東区書道博物館主任研究員の鍋島稲子さんも「石鼓文以外の篆書作品の魅力も知っていただける内容です」と語り、会場での新たな発見を予感させます。
文字のさまざまな表情、輪郭の変化、タッチの粗さ、内面に沈潜していくような迫力など作品の魅力は尽きません。古風な素朴さに、力強く伸びやかな筆遣い、細身の字形や洗練された空間の処理などが加わった呉昌碩の世界は近代的な味わいも湛えています。
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台東区立朝倉彫塑館(台東区・谷中)では「呉昌碩と朝倉文夫」展が開かれ、書画のほか朝倉が写真を基に作った呉昌碩の胸像などが展示され、呉の世界を立体的に伝えています。3月7日まで。
2018年1月29日(月)17:40