東京展ギャラリートーク② 中村伸夫先生

中村伸夫先生(漢字) 8月23日、国立新美術館

執行役員以上の先生方の漢字作品を中心に解説されました。

 

 

中村先生が最初に紹介したのは、昨年8月に亡くなった古谷蒼韻先生(漢字)の遺作「飲中八仙歌」(杜甫)=写真=。「杜甫や李白の時代の『狂草』を半世紀以上にわたって学び、自分の手に入ったものとして自在に書かれたすばらしい作品」と述べました。

 

また、「私は北京に2年間留学したことがありますが、古谷先生に何年か前にお会いした時に書の将来を心配され、『もう一回、正しい中国の書の勉強の仕方を日本の書道界に吹き込まなければならない』と言われ、帰りの新幹線の中で私なりに期するところがありました」と振り返りました。

 

 

 

井茂圭洞先生(かな)が万葉集の歌を書かれた作品は、「白い紙に一本線を引くだけで意味を持ってくるが、その線をさまざまに工夫して万葉集を書かれている。同じ筆遣いがあまりないし、墨の量も違う。直球だけでなく、スライダーやフォークボールみたいな線もいっぱい出てきて、見どころ満載の作品」と述べました。
さらに、清代の鄧石如が「白を計りて黒に当てる」と述べた言葉を引き、「白によって一本の黒い線が生かされる。井茂先生は余白を『要白』とおっしゃられているが、必要な白を自分の表現の中で味方につけている」と評しました。

 

 

尾崎邑鵬先生(漢字)の「汧殹沔々」(石鼓文)は大字の縦作品。中村先生は「縦長の書の作品は、実はそんなに古いものではない。掛け軸の存在が分かっているのは南宋の終わり頃で、流行は元以降とされている」と解説し、「本来は篆書である字(石鼓文)を、行書的、あるいは楷書的な、そして一部に篆書も使って、なんとも自由な発想で作品をお書きになっている。大河に水が滔々と流れているイメージを大事にして、勇壮な表現で書かれたのだろう」と感嘆しました。

 

最後に中村先生は、北宋の書家・米芾の詩「寄薛郎中紹彭」の一節を読み上げました。「已矣此生為此困 有口能談手不随 誰云存心乃筆到 天工自是秘精微」(やんぬるかなこの生。これがために苦しむ。誰か言う、心を存すればすなわち筆到ると。天工おのずからこれ精微を秘す)という詩句で、「書を論ずることはたやすいが、書く手はその通りにいかない」という意味。中村先生は「私が説明したような理屈より、皆さん一人一人が筆を持って書くことの方に真実があります」と締めくくりました。

 

自作(左下)を解説する中村先生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月2日(月)17:05